vol.1 北村想 氏


「世界を広げようと思ったら、言葉を学んでいくほうがいい」

guest:

北村 想(きたむら そう)

 

1952年滋賀県生まれ。
1970年に劇団「T.P.O師★団」を旗揚げ、以後「彗星'86」、「プロジェクト・ナビ」と名前を変えながら劇団活動を展開。
1979年、のちに15年にわたって上演を続けることとなる代表作『寿歌(ほぎうた)』を含む『不・思・議・想・時・記』を半自費出版、岸田國士戯曲候補となる。
1984年『十一人の少年』で第28回岸田戯曲賞受賞。
1990年『雪をわたって 第二稿 月の明るさ』で紀伊國屋演劇賞個人受賞。
2013年からSIS companyのプロデュースにより、日本文学へのリスペクトを込めた新作戯曲シリーズをスタート。太宰治の未完の小説をモチーフにした第1弾の『グッドバイ』で第17回鶴屋南北戯曲賞受賞。今年、同シリーズの第4弾「黒塚家の娘」を発表。
2017年度名古屋芸術大学 デザイン領域文芸・ライティングコース 特別客員教授。


interviewer:

西村 和泉(にしむら いずみ)

 

名古屋芸術大学 デザイン領域 文芸・ライティングコース 准教授
西村さんの経歴などの説明文が入ります。西村さんの経歴などの説明文が入ります。西村さんの経歴などの説明文が入ります。西村さんの経歴などの説明文が入ります。西村さんの経歴などの説明文が入ります。西村さんの経歴などの説明文が入ります。西村さんの経歴などの説明文が入ります。西村さんの経歴などの説明文が入ります。


西村:本日はお忙しい中、インタビューに応じていただいてどうもありがとうございます。

 

北村ま、忙しくはないんですけどね(笑)

 

西村:日本の演劇界を代表される北村想さんに、インタビューさせていただけて光栄です。

 

北村まあ代表してるかどうかも分からないですけど、一番年齢は高いかも分からない(笑)

「食うために書いてる」


西村:本当に「牽引されている」というイメージが強くて、たくさんお書きになられていて、若い方が毎年のように上演しているイメージがあります。これまで演劇を作ってこられて、言葉を用いて創作をすることの意義や意味についてどのようにお考えなのかを教えていただけるとありがたいのですが……。

 

北村それはもう、アレですよ。(笑)
ただ単純にもう、「食うためだけに書いてる」だけですね。

 

西村:そ、そうですか。
ご自身の世界を伝える、といったことなどを意識されたりはなさらないのでしょうか?

 

北村いや、「世界を伝える」かどうかは分からないですけれども……、こういう仕事は、書きたいものが書けるところと、書きたいものだけが書けるわけじゃない現場がありますから。だからあくまでも仕事として、生きていく糧を得るって意味では、いわゆるシス・カンパニーみたいなところに発表の場があるのはありがたいです。まぁ、あと出版不況と言われてますけれども、劇作家は昔から貧乏だからなあ(笑)

 

西村:そうですか。私は芸術の世界で生きていく学生を教えていて、自分の作りたい作品というのは結構あるけど、そればかり作っていると全然売れないし、生きていくために、自分の作りたいものとは違う方向に作品を持って行った方がいいのか、あるいは自分を貫いた方がいいのかと悩みをよく聞くんですね。それで、そういう彼らが現実とどのように折り合いをつけていくべきなのかというところもお伺いしたいです。

 

北村食べるってことに関してはね、いまの自分の年齢と若い人とでは感覚がすでに違っちゃってると思うんですけど、自分が若い頃は「目先の金にこだわってると、将来食えなくなるよ」っていう、誰だったかな。なんかね、有名な画家の、昔の画家の……昔って言ったってそんなに昔じゃないけど、そのひとがそんなことを言ってたので*1、それを単純に信用してました。だから若いときは、その目先の金とかそんなものにこだわらずに、という感じでやってましたね。

 

1.現在確認中。ご存知の方、教えてください。

 

西村:そうなんですね。
本当に自分の書きたいものがしっかり世の中に受け入れられて、それで食べていけるっていう方はほんの一握りですので、そのような状況になれるということも、才能なのではないかと。

 

北村うん、まあ……なんだろうね。
書きたいものが書けるようになるまでには、だいぶ時間がかかりますね。書きたいと思ってるものを書ける、言いたいことが言えるっていうのは、難しいですからね。言いたいことはあるんだけど、書きたいものはあるんだけど、なかなか書けないですよね。だから、言いたいものや書きたいものが、どうやったら書けるようになるかっていうことをまず考える。そうしたら書きたいものが書けるようになるんです。それからですね、それで食っていけるかどうかってことを考えるようになるのは。

オリジナリティなんてものは多分無いと思ってた方がいい


 

西村:北村さんは、方法論やスタイルをどのように考えて、生み出されるのでしょうか。

 

北村これはね、さっきの目先云々の言葉ではないけど似たようなもんでね。星占いを信用しているわけじゃないんですけど、自分は蟹座で、蟹座の生まれのひとは、ものを真似るのが得意で、真似てるうちに自分のものにしていく才があるらしいってのを聞いて、それを信じてやってきたという(苦笑)

 

西村:それ、素敵です。

 

北村あの画家がね、そういうことをぽつっと言っていたんで、じゃあ俺もそうしよう、と割と単純に思っただけで。だから、最初は自分の好きな作家の真似っていいますかね。それをやってたですね。

 

西村:自分の作品のオリジナリティを主張される方もおられますが、北村さんにとって作品におけるオリジナリティとはどのようなものとお考えですか?

 

北村オリジナリティは……(笑)オリジナリティなんてものは多分無いと思ってた方がいいんじゃないですかね。

 

西村:そうですか。私は北村さんの作品を観させていただいて、すごくオリジナリティを感じるんですけど、ご自身は、そういう意識はあまりお持ちではないのでしょうか?

 

北村それはね、生み出そうとして生み出せるものじゃないですから。
「オリジナル」はいわゆる「私(わたくし)的」なものですよね。
オリジナルっていうよりも、私的なものというのは、それはね、自然に出てくる……。まあ、生まれも育ちも違いますからね。必ず出てきます。
けれども、それだけ書いてもダメなんですよ。私的な部分と、それから一般的な部分というか普遍的な部分、これは必ず混じってきますから。いつもこれは数学なんかで説明したりするんですけどね、微分を使ったり。自分的なものってのは要するに日記的なもの、数学でいうところの係数なわけですから、一般的な部分と両方がうまくバランスを取れていくと、オリジナリティのある作品、そういうものになってくるでしょう。

 

私戯曲があってもいいんじゃないか


西村:『十一人の少年』の下手村象(『十一人の少年』の登場人物、劇作家)や、先日ナビロフトで拝見した『悪魔のいるクリスマス』にも劇作家が登場します。彼らはまるで北村さんご自身であるかのように、また観る側にそう映る様に意識的に配置された登場人物であると見受けられます。それはとても実験的なことのように私には読めたのですが、その部分は、まさにご自身をそのまま反映している、と捉えられても構わないといった様なリアリティをもって描かれておられるのでしょうか?

 

北村うん、まあ事実の部分はありますけども、全くそれをネタにしてるだけ、ですからね、『悪魔のいるクリスマス』っていうのは。ですから北村想名義で書かなかったんですよ。

 

西村:あ、はい。それもお尋ねしたかったんです。

 

北村あれはだから在間ジロ名義で書いたんです。そしたら某評論家に、「これは北村想の真似ではないか」って言われましたけどね(笑)。だから黙ってたんですよ、しばらくは。だから本当に、在間ジロってのは実在するのかどうかっていうことも、実際「(実在)しますよ」と言ってみたり、いやそうではないですよと言ってみたりして、分からないようにしていた。

 

西村:「メタフィクション」という感じがしますね。

 

北村うん。でも私小説ってのがあるんだから「私戯曲」ってのがあってもいいんじゃないかというようなことを言って……。 全く「私戯曲」と銘打って書いた作品もありますよ。それもまた下手村象が出てくるやつで『PICK POCKET』で2本書きましたけど*2
内容は太宰治の真似みたいなもんですね。太宰治が作ったなら太宰治だから。それと同じような感じで、私は私で作って。

*2.北村想『PICKPOCKET—あの人の十九の春』白水社(1989年)および姉妹編の『PICKPOCKET・2—雨の縁側』北栄社(1992年)。

一番読書量が多かったのは、小学生まで


西村:いま太宰治の名前が出ましたが、昨年3月に諏訪哲史さんと対談をなさった際に愛読書リストを配られて、本当に膨大な作品をお読みになっておられることを聴衆の一人として知ったのですが*3、これまで読んでこられた作家や作品の中で、特に印象に残っていたり影響を受けたりしたものがあれば教えていただきたいのですが。

 

*3.「北村想×諏訪哲史トークセッション」於TOKUZO(名古屋、今池)、2016年3月15日。

 

北村一番ね……
影響があったのはね、というか一番読書量が多かったのは、小学生まで、ですか。そこまでの読書量が8割くらいです(笑)

 

西村:ええっ(驚嘆)

 

北村あとは……読んでないですね。

 

西村:物心ついた時から読まれている……っていう感じですか。

 

北村そう……ですね。
で、その時に、読んだのはやっぱり、世界の童話ですね。多分。いろんな童話。その中でも一番好きだったのは、日本の文芸童話ですよね。だから一番影響を受けたっていうのは日本の文芸童話だと思いますよ。他にもまあ大抵の童話……アンデルセンにせよイソップにせよ、グリムにせよ大体のものは読みましたし。

 

西村:それがベースとなって、いまがある、と?

 

北村うん。だから小学校の図書館の本もほとんど読んじゃったし……。戦国史とか『三国志』とか、いろいろ少年向けに書かれたものがありますからね。そういうのを全部、小学校のときに全部読んじゃってるんですよ。

 

西村:そうなんですね……普通の感覚だと、小学生の時に漢字も出てきたり、文字を追うのが精一杯というイメージが私はあったので、ちょっと驚きです(笑)

 

北村いやいや(笑)
なんかいつ読んでたのかちょっと覚えがないんですけど、近所の貸本屋さんで大体漫画読んだり……とか。まあ白土三平さんとかね。あと山田風太郎さんとか。世間がうるさく言う前にとっくに読んじゃってるっていう感じでしたね。

 

西村:北村さんが初めて公に向けて作品を発表されたのはいつ頃ですか。話によりますと中京大学の演劇部に顔を出されていらっしゃったとか。

 

北村うーん。活字になってるのは新劇(のちの「しんげき」)に掲載されたあの、『(怪談・)銀の骨鞄』っていうのが最初に活字になった本ですね。

 

西村:言葉による創作をされる中で劇作家をお選びになったのはどうしてですか。自然な流れなのか、色々とお書きになられる中で、北村さんのスタイルに合っていた……あるいは演劇表現の世界が他のジャンルより広く感じられたとか、何かきっかけのようなものがありましたら教えてください。

 

北村うーん。その言葉の中で一番近いのは自然の流れっていうのかなぁ。なりたいからなったってわけじゃないですね(笑)。だから最初中京大学の演劇部を出て、それでまあOBが集まって、5~6人で芝居をやるってときに、書ける者がいないってことで「お前書け」って言われたから書き始めたのが最初ですかね(笑)
それは大須の共同スタジオで上演しましたけど、でもそれ全部書いてないんですよね。途中というかもう終わり……がなくて。
「ここまでしか書けなかったから、あとは適当に作ればいいや」っていうことで。それが最初かな。

吉野家作家って言われてます


 

西村:スタイルの異なる作品を数多く世に送り出されている北村さんは、御著書『北村想の劇襲』のあとがきで一本の戯曲を作るのに、資料集めや構成で1ヶ月くらいかかると書かれています。その上で、ご自身は仕事のスピードがあまり早い方ではないとおっしゃっていますが、私から見ると100枚を1ヶ月って、すごい量だと思うんです。で、書かれるときには言葉を生み出されるのにご苦労なさるのか、一気に書き上げてしまわれるのか、その辺りの執筆のプロセスについて少し教えていただけますか。このインタビューを読む学生の多くもおそらくその点が聞きたいと思うのですが。
たとえば最初に構成をかっちり決めて書かれるのか、それとも……

 

北村いや(笑)そんなことはないですね。
昔から「吉野家作家」って言われてますけど。

 

西村:

 

北村「うまい、やすい、はやい」ですね(笑)。『黒塚家の娘』は4日くらいで書きましたし。

 

西村:4日……(吃驚)

 

北村あれは突然のことでしたから。資料送ってとか、そう言う暇が全然なかったんで。翌週になんか打ち合わせがあるからとかなんとか、向こうのプロデューサー、社長が言ってきたもんですから。「シノプシス(あらすじ)だけでも出してくんない」って言われて。私はね、シノプシスっていうものを書いたことがないんですよ。シノプシス書いてんだったら本編書いたほうが早いから。それで、まあ1週間後に出しましたけど。そのときに間に合うように。他の仕事があったんで、正味4日くらいですね。

 

西村:でも『黒塚家の娘』で印象が強かったのが、哲学者の言葉がすごく自然に記されてたり、いろいろ調べて構成されたのかな、と勝手に想像していたものですから。

 

北村うん。だから資料送ってもらってる暇がなかったんで、頭の中にあることだけで作ったから(笑)

 

西村:ああいった哲学者の言葉はもともと北村さんの頭の中にある……

 

北村だからああいうのがいっぱい出てきたんですよね。哲学とか、他のいろいろ数学とか。そのあたりは演劇論を作るためにかなり読んでますから。結局そういうものは残るんですよね。その代わりフィクションはね、ほとんど読んでないんですよ。

 

西村:そうなんですね。

 

北村珍しいと思われるでしょうけどね。話題になってるものも読んでないですね。東野圭吾さんはわりと初期の頃の、まだブレイクする前のやつをいくつか読みましたけど、それはミステリーが好きだから読んだわけで。それ以降は読んでないですね(笑)ええ。

 

西村:他の劇作家さんの劇を観に行かれる、とか。そういうことはあまりないのですか。

 

北村あー。あのね、芝居はね、ここ20年はほとんど、義理を含めて年に2、3本しか観てないですね。だから一番観たのは、やっぱり20歳前後ですね。その頃は東京へ出かけて行って観ました。名古屋には何もないんで。東京へ出かけて行かないと。映画も東京は毎日やってるけど、名古屋はそういうことないんで。やっぱり本もないし。だからそういう文化が全然なかったんで東京に行きましたね。

 

西村:いいですね。
そうすると名古屋を拠点にしておられる理由は何ですか。いえ、何度も質問されていることだとは思うのですけど、一応お約束と申しますか……

 

北村あのね、東京はね、うるさすぎるんですよね。それと使い捨てが多すぎるっていうか。それで使い捨てにされちゃたまんないって感じ。
だから東京はね、いまでも話題になっても2年、っていわれていますね。うまいことやらないと。私が若い時もそんな感じだった。だから東京はダメだなっていうか。
それよりも何にもないって言われてる、文化が何もないって言われてる名古屋でやってた方がいいかな、って。
中途半端な都市なんですけど、いまよりももっと田舎なのか都会なのか分かんないときに、何もないところで何かやって、何かもの作った方が、なんでもありそうなところでやるよりもなんか出来るんじゃないか。そんな夢とか希望というよりも、野心のようなもの、野望というかね、そんなものがあって(笑)
何もないところで、じゃあ……開拓するなら何もないところの方がいい。もう、ごちゃごちゃ開拓されてるところよりもね。僕はでも何もないところで自分の文化圏を作った方がいいっていう感じで。何もないからなんでも出来そうだっていうので、まあ名古屋、ということでしたね。はい。

 

演劇だってイリュージョン


西村:私は作品を悲劇とか喜劇とか、単純にそのような解釈で区分してしまうことに違和感があって、どんな作品にも、悲劇性も喜劇性もあったりするのかな、と考えてしまうんです。北村さんの作品は観ていて「切ない」という感じがあるとともに、随所にユーモアがちりばめられていて、心温まるというか、単純に悲喜劇という枠組みでは捉えられないような何かを感じてしまうのですが。ご自身はご自身の作品をどのように定義しておられるのでしょう?

 

北村悲劇とか喜劇ってどういう風にどこから分けるのか分かんないですけどね。チェーホフだって自分が書いた4つの作品のことを「四大喜劇」って呼んでますからね。*4まあ、僕はおそらく吉本新喜劇のような「喜劇」じゃないという「喜」で、喜ばしき劇ということで書いてるって思うんだけど、まあ彼は皮肉屋さんですから(笑)

 

*4.『かもめ』『ワーニャおじさん』『三人姉妹』『桜の園』。四作品はいずれも悲劇的要素が強いが、チェーホフ自身は「喜劇」とみなしていたと言われている。

 

ギリシャ悲劇にしても、それよりは日本にある人情ものとか世話もののほうがうんと悲劇なわけですからね。ギリシャ悲劇ってのは庶民の悲劇を扱ってるわけじゃないですから、あんまり興味はないんですよね。だからそういうところで分けるんじゃなくて、でも書くときに悲しいことを悲しく書いちゃっても面白くないってことなんですよね。そんな悲しいところにあるおかしさというか、そういうものを書くのは日本人はずっと昔から得意としてきたんじゃないかなと思うんですよ。だから自分もそういう風にやってますね。
あとね、立川談志さんが「落語ってのはイリュージョンだ」って言ってたんですよ。最初は何のことかよくわかんなかったんですよね。わかんなかったんですけど、あるとき「あ、そうか」と、「じゃあ演劇だってイリュージョンだな」って思えたんですよ。つまり、どういうことかっていうと、ありそうにもないことを、さもあるように……説得力をもってね。そんなふうに語れるのは落語しかないんですよ。そこらへんに転がってるような感じで言うんですけどそんなことはない。実際には絶対にありえないっていう。
だから、いつも戯曲を書くときは、ありそうにもないんだけど、それを、「さもありなん」みたいに書こうとしてますね。「うんうん、あるある」みたいに思わせる術っていうんですかね。そういう、まあ『ドグラマグラ』じゃないですけど幻魔術みたいなね。そういうものがやっぱり、読み物であり演劇であるんだな……と思ってます。だから例えばリアリズム演劇とか、よくわかんないんですよ。
大体僕の『寿歌(ほぎうた)』を発表したときなんかは散々、叩かれましたからね。

 

西村:そうなんですか。

 

北村「こんなものは演劇じゃない」って言われましたからね。ええ。それと高校演劇で寿歌上演は禁止ってくるところもいっぱいありましたから。

 

西村:そうなんですか?

 

北村高校生はやりたがるんですよね。やりたがるんだけど、顧問の先生に「これはお芝居じゃないからやっちゃいけない」って言われたんですけど、っていう相談を受けて(笑)そんなこと知らないよって(笑)
いろいろ叩かれましたね。

 

西村:ちょっと、それは私存じ上げなかったです。

 

北村当初はね、そうだったんですよ。
実際、何が気に入らないのかもよくわかんなかったんですけど、自分でも何書いたんだかわかんなくって、だから反論のしようがなくって。だからあれを演り続けたのは、「これってなんなんだろう」っていうことを自分がわかるまではやってみようということでやったんですよ。 それは同じことで、宮沢賢治さんをやり始めたのも、わかんなかったからですよ。

 

西村:そうなんですね(笑)

 

北村宮沢賢治さんはファンが多いから、人は見にくるだろう、っていうことでまあ(笑)
観客動員のことも考えたんですけど、やっぱり書く方としては、わからなかったから書いたんですね。だから俺が宮沢賢治のファンだと思ってる人はいっぱいいるんでしょうけど、やっといまわかるようになって、ファンになれたという感じです。ほんと最初は全然わかんなかったですよ。『セロ弾きゴーシュ』を初めに読んでわかんなかったです。当時音響をやってた奴が私のところ来て、耳元でボソッと「俺この童話さあ、なんの話だか全然わかんねえんだけど」って言われて、ああ、やっぱ同じなんだと思って。だってラストシーンの、ゴーシュが「あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ」ってそんで終わってるわけですよ(笑)なんの話なんだこれは、もう全然わかんなかったです。だから、わかるまでやろう、と思ってやりました。はい。

 

西村:果敢な挑戦というか。わからないものは人は避けて通りがちですが、わからないから敢えてやる、みたいな。

 

北村そう、わからないからやってみようという感じですよね。

 

西村:先程『寿歌』のお話が出ましたけど、核戦争と人間が描かれたSF的……というか、第三次世界大戦が起こるんじゃないかといったお話を北村さんの想像力でお書きになられているわけですが、そういったまだわからないこれからの世界について書かれる難しさというのはありましたでしょうか。

 

北村いや核戦争についてね、『寿歌』書いた頃にいろいろ言われたんですよ。いわゆる反核派とかにね。その辺から上演依頼とかがありましたよ。会って署名してくれないか、とかね、ちょっと喋ってくれないか、とかね。言われたんですけどね、これは反核とはなんの関係もなくて……。それ説明するとね、向こうが嫌な気になるんですけどね。とにかく何にもない荒野が欲しかったんで、何にもない荒野を作るにはどうしたらいいかって「核戦争が起こった」って考えるのが一番手っ取り早い(笑)という思ったんだ、っていう風に言うとね、向こうはね、すっごく不満な顔、不服というかね、逆にキレちゃうんですよね。酷いよそれはっていう感じで。だけどこっちはそう思って書いたんだから、しょうがないでしょって、うん。で、亡くなりましたけど扇田昭彦さん(演劇評論家)と対談したときも核戦争の話がちょっと出たんです。そこで、核戦争あるんなら、老後のこと考えなくていいんじゃないですかって言って。あ、それNHKのテレビの収録だったんですけどね(笑)。不埒な発言ばっかりやってんですよ、そうやって。

「コミュニケーション」なんて言葉はね、たぶんない


 

西村:世の中の価値観が多様化する中で、「人間からコンピューターの仕事を差し引くと人間的人間が残る」という、『悪魔のいるクリスマス』のラストのセリフがとても印象的で……
人は人間について考えるべきなのに、何か違う方向に行ってしまいがちなこの世の中で、そんなセリフをお書きになった北村さんにとって大切なのはやはり人間について考える、ということなんでしょうか?

 

北村いや……どうかな(笑) 「人間」はわかんないから、それ自体を考えるということになってしまう(笑) するともうこれは哲学になってくるわけでしょ。
哲学思想的なものなんかで言うとやっぱり釈迦が人間を一番深く考えてるとおもいますね。ハイデガーが20世紀最大の哲学者だって言われてるけど、それはあの人が2000年続いたアリストテレス哲学をひっくり返したから、なんですよね。だから「すごい」と言われてるだけで。ま、私が読んだ限りではそうなんですけど。でも釈迦はね、もっと身近なところから始めて。

 

西村:北村さんの作品は、そういう思想を語っても、だれもが分かる言葉に置き換えられている様に思えます。

 

北村いや、そのぐらいの言葉しか私自身が知らないから(笑)

 

西村:いえいえ、演劇を観てると伝わるわけですよね。どんな観客の方が来られるかわからない中、どの人にも響く言葉、として伝えられる。それにはやはり何か工夫をされていると思うのですが、いかがでしょうか?

 

北村それはね、全然伝えようと思ってないからですよ。
「観客」ってのは演劇を観に来るだけですからね。いろんな観客がいますよ。反発を持つ客もいるだろうし、賛同する、あるいは感動する人もいるだろうし。なんかわけわかんねえや、って思う人もいるだろうし。もう本当に千差万別ですよ。じゃあそういう人たちに我々は何をしたらいいのかっていうことね。これはチンパンジーから学んだことなんですけど、チンパンジーの母親ってのは、子供にものをあげるときに、手渡しで渡さないんですよ。自分の前に置くだけなんですよ。で、チンパンジーの子どもが、持って行くんですよ。自分の好きなものを好きなだけ。演劇もそれでいいと思ってるんですね。要するに「並べておきますから」って言って、観客の皆さんは、持って帰られてもよろしいですし、要らない方はそのまま帰られてもよろしいですから、と。我々は、こう並べておくだけですから、と(笑)

 

西村:そうなんですね。
私は観客として、どんなふうに演劇って観たらいいのかなとか考えることがあって。役者さんの言葉を、「伝えてもらっている」という感じで捉えようとしているところがあるのですが…。

 

北村いやそれは好きな風に観ればいいんですよ。
あのね、「コミュニケーション」なんて言葉はね、たぶんない、です。
コミュニケーションなんて、取れるもんじゃないと思いますよ。

 

西村:北村さんは台本も書かれ、演出もなさって、役者さんに「こういう風に演技をしてください」、という指示を出されると思うんですが、そのときに北村さんが書かれたものにたいして、どこまで忠実に演ずるように指示を出されるのか。
例えば私が研究対象にしているベケットですと、本当に一言一句、「こうしなさい」と厳密さを求めた、ということがあるもので、気になっていたのですが。

 

北村そうですね。ベケットなんかは演者の判断で直されるのはダメだっていう風に言ってますよね。まあそういう人もいるでしょうけどね。

 

西村:ええ。北村さんの戯曲を読ませていただくと、ここの部分は上演の都合で変えてもよい、って場所があったり、ト書きも堅苦しく縛るような感じが全然なく、役者さんに上演の際にそれぞれ少し違う形でも演じてもよい、と提案しているようにも思えるのですが、いかがでしょうか。

 

北村それはね。戯曲それぞれ、というよりも、「役者それぞれ」ですね。
だから「この役者はこういう風に言ったらやってくれるだろう」と思ったらそう言いますし、「こういう風に言ってあげたほうがいいな」と思う役者にはそう言います。全部釈迦がやった対機説法と同じなんですよ。マンツーマンでやってますから。で、この間の『悪魔のいるクリスマス』の場合は、一人除いてあとの3人がほとんどビギナーでしたから、立ち方しか教えてないです。「こういうキャラクターで」とかね。そういうのは全部(台)本に書いてあるから。昔から「役作り」って言葉、僕は使ったことないんですけどね。何のことかよくわかんないから、役作りって(笑)。私がやってきた劇団でも、いま関わってる劇団、ユニットでも、「役作り」なんて指示したことは一度もないですね。ていうか、役作りっていうものがどういうものかわかんない、から。だから「書いてあることを、楽しく読みなさい」としか言わないですね(笑)

 

西村:たとえば上演が終わったあとに、「あの時のあの演技は」とか、おっしゃったりはされないんでしょうか。

 

北村いわゆる「駄目出し」ってやつですね。それはね、一度もやったことないですね。

 

西村:そうなんですか。

 

北村野球だと、監督してたら途中で出て行けるんですよ。「ピッチャー交代」とかね(笑)それはできるんだけど、演劇はそんなことできないから。
非常に矛盾した……表現でね。本番の稽古っていうのは、できないんですよ。

 

西村:本番の稽古?

 

北村本番は本番で、稽古は稽古ですから、本番の稽古っていうのができないんですよね。だから本番っていうのは1回しかないわけで。それが1回1回しかないわけで。そのときにこう、「ダメだ」っていう、ことが起こっても、それは1回のことだから、駄目出しをするっていうようなことにはならないですね。まあ本番が始まる前に、全部終わってますから。

 

西村:見守られる、という感じですか。

 

北村いや、見守るもへったくれもない。だいたい、『悪魔のいるクリスマス』 にしても、本番観てないですよ俺。

 

西村:あ、そうなんですね。私てっきり、ご覧になってるものだと

 

北村ええ、大抵観ないです。私の仕事はゲネプロ*5までです。そこで全部終わってますから。

 

*5.初日公演の前に本番どおりに行う総稽古、通し稽古のこと。ドイツ語のゲネラルプローぺ(Generalprobe)に由来する。

世界を広げようと思ったら、言葉を学んでいくほうがいい


西村:いま私たちの文芸・ライティングコースに所属している、そしてこれからコースに入りたい学生と話していると、「将来、言葉を使って何かしたい」という思いをすごく、抱えているのがわかるんですね。「大学で」言葉の表現とか、文章を学ぶという意味について、北村さんはどのようにお考えかを「学生へのメッセージ」という形で教えていただけるとありがたいんですが。

 

北村言葉はね、うーん。
これ唯一人間が持ってるものですよね。言葉っていうのは。これはコンピューターは持ってないんですよね。AI、人工知能、って言いますけど。あれは確率演算をするだけで。言葉で考えてるわけじゃないんですよね。唯一人間が持ってるものです。だから何をするにしても、やっぱり「言葉」ってものが非常に大事だな、と思いますね。ウィトゲンシュタイン(オーストリアの哲学者)は、言語限界が自分の、その人の世界限界だ、なんてことを言ってますけど、果たしてそうなのかというところもやっぱり学んでみたほうがいいですね。つまり「世界」っていうのは人が考えてるよりももっと広いもんだと。で、その広さを知るには何が必要かというと、やっぱり言葉なんですよね。

 

西村:その言葉、身にしみますね。

 

北村どこへ行ったって、言葉でコミュニケーションとるわけですから。言葉に限界があるかどうかは別にして、言葉の狭い人っていうのは世界も狭いですよね。だから世界を広げようと思ったら、やっぱり言葉というものを学んでいくほうがいいと思います。それがまず最初ですよね。

 

西村:はい。

 

北村だから演劇の勉強がしたい、という人に対して、まずは最初に言語学をやるんですよ。文法から教えますからね。文法というか、言葉の使い方っていうところから始めます。

 

西村:大学でいろいろな言葉を学んで、言葉に触れていくことが重要、ということでしょうか?

 

北村そうですね。だから僕の場合はやるのは実践ですから。さっきの「イリュージョン」じゃないですけど、どんな言葉がね、演劇や映画などの世界に使われているか。たとえば「Are you OK?」って、「大丈夫ですか」、ですよね。「Are you OK?」って聞きますよね。けどね、あの、「大丈夫ですか」って一言じゃないんですよ。訳し方がね。いろんな風に訳せるわけなんですよ。それか「Beautiful」って言ったらね、日本人はもう「美しい」としか思わないわけでしょ。けれども、英語を使ってる人にとっての「Beautiful」ってのはいろんな意味があるわけですよ。「すばらしい」ってことも「Beautiful」なんですよね。そういういろんな形で「Beautiful」っていうのは使うわけですよね。だからそういう風にして言葉っていうものを覚えていくと、その分やっぱり世界がどんどん広がっていくわけですよね。世界は広いほうがいいですよ。

 

西村:すごく励まされます。
言葉から世界が広がるという感覚の喜び、素晴らしさ……。私も感じていて、そしてこれからも感じ続けたい、広げ続けたい感覚です。このことをぜひ、学生にも伝えたいと思います。次年度も授業をご担当していただく中で、ぜひ学生にその言葉の持つ素晴らしさをお伝えいただければ、と思います。
本日は本当にありがとうございました。そして、これからもよろしくお願い致します。

 

北村いやいや(笑)